「ステージセラピー、声を使って心を知る」2.コミュニケーション能力を高める方法
A君とB君のケンカのお話をします。
A君、B君はクラスメート。
仲良かったです。
一緒に遊びに行ったりとかおつきあいもありました。
ところが、ある日ひょんなことでこの2人はケンカします。
A君がB君となんかしてました。
そしたらB君がA君に「おまえ、アホやな!」と、「馬鹿だな」と言いました。
したら、ふつうやったらそんなにイライラすることもないA君やったんですけど
このときばかりはなんかでえらい腹が立ちました。
「なんやのおまえ、その言い方」って。
「ちょっと、どこの誰にもの言うてんの、おまえ。え?」って。ならこっちも売り言葉に
買い言葉で「なんやねん! おまえみたいなヤツはアホはアホやろ。馬鹿は馬鹿やろ。
そやから言うたんやないか。それがそんな馬鹿になんで文句言われなあかんねん」
ってな感じでだいたいケンカはじまります。
ところが、こういったのもひとつのコミュニケーションなんです。
ケンカもコミュニケーションです。
あのね、よくよく言われるんですけれども『ケンカするほど仲がいい』なんて言います。
それはもういつも真実じゃないです。
やっぱり、とんでもなく嫌いでとんでもなく困るから、それでケンカするってことも
あります。
だけれどもやっぱりあるていど仲がいいっていうのはお互いがグッと他人のテリトリーに
入っていくというか寄っていく、何か一緒の行動をしないとなかなかコミュニケーション
にはならないし、関係というものも結べません。
とくに友達なんかそうですよね?
友達、っていうからには一緒にゲームをする、一緒に買い物に行く、一緒にごはんを食べる、
そんなことをするから友達になりえますし、コミュニケーションも必要ですし、お互い腹を
割っていろいろ話したり何かするからこそ、なんかこういうケンカも起きてしまうわけです。
ところが、さあ、なんでこんなケンカしたん?
もうこの場合はBがAに馬鹿だなって言ったからBが悪いんでしょうか。
わかりません、それは。
もしかしたらAが誰かの物ちょろまかしてる、万引きばっかりしてる、とか、このAが
またCをいじめてる、とか、何か悪いことしてたのかもしれない。
もしくは悪くなくてもBが誤解をして、このAに対して「そんなあかんで、おまえ。そんな
バカなことを」って。「そんなアホな」って言ってしまったのかもしれません。
Aとしたらとにかくなんかの折に言われた。
腹が立つ。こんちくしょう!とか、ううん!とか思う。
だからAにとってはBha悪い人やねんけど、ちょっと引いて見たら、なんちゅうことはない、
Aもけっこうアホやってたんちゃうのん? って。
そういうことは少なくないわけです。
そこで、コミュニケーション能力を高める方法をいましたいんですね。
どうやるのか。
コミュニケーション能力を高めるにはAの人、A君はいっぺんB君になってみる。
ほんまにはなりませんよ。別に。
SFの話じゃないから。
だからB君のふりをするんです。
で、B君のふりをして自分であるA君に言うわけです。
「おまえ、アホやなあ」って。「馬鹿だなあ」って。
でも、どうしてBはオレのこと、Aのことをバカとあのとき思ってんやろうか。
ちょっと引いてみる。
まあ、もちろんね、ここで仲たがいしてたのが元通りになってたら「おまえ、あのときなんで
オレのこと馬鹿や言うてん?」って聞けますけれども、そうじゃなければとりあえず想像してみる。
んー、そういえばあのときあそこにCがいたか。
ああ、Cにオレああいうこと言ったかなあ、、、。あれ? もしかしたらあれが原因か?
いや、その前にもDに金貸してもうてたん、返さんでなんかでうやむやにしててなんかこじれた
なあ。。。え、あれが原因か? あれが原因か? これか? それか? どれや?
みたいなことを思ってると、意外とあの状況においてBがA、すなわち自分に「馬鹿だな」って
言ったのは、もしかしたらそうやったんかもしれへんな、ってことがポン!って浮かんできたり
するんですね。
そうすると、あー、あれで自分はすごく腹を立ててまたBに文句を言ったけれども、あれって
元をただすと、うーん、、、オレも悪かったんかな?
ってなことを思ったりするわけです。
そういうのが、コミュニケーション能力を高める、って方法になります。
そして、こんど、Bの側、Aに対して「馬鹿だな」って言いました。
ふだんは仲良しにしてるわけです。
おまえ、何アホなことやってんねん(笑) そーんな馬鹿な。もうちょっと自分の面見て言えよ。
ぐらいで、お互い冗談を言い合って仲良くやれてたから、っていうのもあるかもしれないけど、
このときはちょっと「馬鹿だな」に剣があったかな。少しきつく言い過ぎたかな。馬鹿だな、
ってこういう言い方しちゃった。なんか。あの言い方って、あいつにはちょっと言いすぎやった
かなあ? そういえばアイツあんとき、なあ、彼女にフラれたって言ってたし、なんかおうちが
大変やって言ってたし、なんかいろんなこと重なってたからイライラしてみんなに辛く当たって
たんかもしれへんのに、ちょっとあのとき言い過ぎたかな、、、みたいに。
このBがAのそのときの状況をぜんぶ自分の中で演技してみるわけです。
真似っこするわけです。
BがAの真似をするわけです。
これ、AだのBだのって言ってたら難しいかもしれません。
たとえば嫁さんとお姑さんの関係。
それでもええわけです。
うちの母親はヨシコと申します。
うちのおふくろ、あの姑、要するにおばあちゃんと仲悪くなかったんですけれども、仮にヨシコ
という名前を使うと来ます。
「ヨシコさん、そんなことしてたらうちのトオルさんが大変やないの!」って、おばあちゃんが
おふくろに言いました。
んなら、おふくろ、「何言うてはるんですか、おかあさん。そんなこと言うたかて、うちの家計
支えてんの、ほかの誰でもない、あたしなんですよ!」
(うちのおふくろは)ここの前の院長でしたwwww
もし、おばあちゃんにおふくろが言われたとしたら、おふくろ、そうやって言い返してたかも
しれん。そんなら、姑、おばあちゃんは、「いやあ、ヨシコさん、なんやの。そんなにトオルが
働かへん言うの?
・・・ってな感じでビシビシバシバシのすっごいケンカになるわけです。
ところが、そこで、ふとこう考えたら、別にお姑さんはその家計のことで言うてたんじゃない。
ね。たまたまおふくろ忙しくて、ここの院長やってて、わたしをほったらかしになってたわけ
です。あっちゃん世話もうちょっとしてあげたらどうやのんな」と。「もうちょっとほんとに
早う診察終わったらよそへ行って他の仕事のおつきあいとかちょっとぼちぼちにしといて、
おうち帰って息子の世話したげーな」程度のことやったかもしれん。
なんでか。
あたしがいつも家で泣いてんの、おばあちゃん知ってたかもしれん。
ほんならおふくろ、ぜんぜん関係ないところでプンプン怒ってる。
ならこんど、おばあちゃんにしてみたら、いや。なんや知らんけどもヨシコさん。うちの
嫁さん、えらいガンガン怒ってるけども、あたしそんなに怒らしてしもたかしら。
やっぱ孫の世話もせなアカンのに、と。
いうようなそんな話の中でお互い誤解があるのかも知れへん。
だけど、ふと気がつけば、もしも旦那のおかあさんの立場になれば、
自分の息子のおばあちゃんの立場になれば、
どういうことを言い出しやんのやろ? って考えてみる。
また逆にこんどは、お姑さんのおばあちゃんは、いっしょうけんめい息子を支え、家計を支え、
みんなを食わしてくれてる素晴らしいお嫁さんのヨシコさん、に対して、ちょっと言い過ぎた
かなって。ほんとに朝から晩まで走り回って仕事しまくってくれてるうちの嫁さん。
あ、ちょっと言い過ぎたかな、といろいろ思う。
で、そういうあたりのことを思いあって、それでいろいろお話をしていけば、
コミュニケーションってのは成り立つわけなんです。
ところがこれってね、そんなに簡単になかなかできへん。
どうしてか。
人間には感情いうのがつきもんです。
売り言葉に買い言葉やないけど、ぱん!って言われたらぽん!っと出てくる。
特に、日本の道徳ってのがありますけれども、日本ってけっこうまあね、世界中に百何十か国か
二百か国くらいかあるんですけれども、ほんとに歴史の古い国です。
で、長年、武士というのがこの国の中枢におりました。
そのようなことから、日本の中にはかなり完成度の高い、道徳教育いうのがなされてました。
で、その道徳教育いうのはなんやのん? っていうと、『子は親に従え』と、奥さんも旦那に
家長に従え、みたいなんがあって、で、きっちりやんなさいきっちりやんなさいってのがすごく
あったわけです。
で、そのきっちりやらなあかんのんから外れると、「メ!」って言って躾けられるわけですね。
それがほんとにその躾けというのが、勘違いでどっかでスパルタ教育やから、厳しくするのが
いいから! ってこう体罰なんかになってしもうてね。
愛情のない体罰いうたら単に痛いだけですからね。
で、やっぱりね、「もう!」ってこうパッとあげた手ってなかなか下ろす場所に困るっていう
ような感じですけれども、やっぱり親父なりおふくろなりが手あげるゲンコ握るっていうと、
子供こうなります。
こうなったら、子供がやるパターンは2つです。
1つ、黙る、静かにする、隠れる。
で、ちょっと頭の反射の早い子やったり、ちょっと機転の利く子やったら、間違いないです。
ウソつきになります。
そのウソつきというのは、他人に対してのウソはまだ許される。
ね。もちろんウソはあんまりよくないですよ。
でも他人にウソついとくのはまだなんとかなります。
ところが、自分に対するウソいうのんは、頭がこんがらがってしもうてどないもこないも
ならへんようになってしまうんです。