「神様に歌うということ」2.対象物とどう繋がりたいかで声は変わる
私が歌を一生懸命勉強するにあたって一番お世話になった先生に亀渕友香さんという方がいらっしゃいます。
彼女はいつもゴスペルを歌ってらっしゃるんですけど、ゴスペルってなんかカッコイイんじゃない?って、若い生徒さんがいっぱい集まってくるんですよ。
ネイルして髪ばっちり整えてアクセサリーじゃらじゃらつけて・・・
でもそんなとき亀渕先生がいつもおっしゃってたのは、「あんたたちいいカッコばかりしてるんじゃないわよ。そんないいカッコばかりしてても人の足踏んずけて平気でいるような奴らなんてそんなのゴスペル歌う資格ないわよ」って。
いいカッコでいくら歌ってても、人のことも考えずに勝手気ままにできる人間が神さまのことなんか考えて歌えるわけないじゃないの、っていう風によくおっしゃってます。
要するに、神さまを思って神さまを歌うっていうのはどういうことか、それがどれだけ深いのか、ってことなんですが、これからお話しすることも、そういった深いお話になってきます。
人間が歌を歌うときに誰に歌うか、もしくは歌じゃなくてもお喋りするときに、やはり心の底から敬愛する者に対して発する言葉というのはやっぱりそれなりにきれいになるもんです。
自分が思う対象物と、どういう風に繋がりたいかということで、声の出し方は自然と変わります。
ですから逆にいいますと、いくらお客様に歌う、いくら神さまに歌うといっても、その対象物に対する自分の気持ちのありようによって、声は変わるということです。
さて、まずここからは、一緒に歌うことの楽しさについてちょっと考えてみましょう。