『新たにゼロの声を探すには?』2.「楽しさ」と「うれしさ」のちがい

ここにいるみなさんの中にも人前で声を発する、歌う、演技する、お芝居する、漫才する、落語をする、と、なんでもいいですけど他人様の前で声を発して表現されることがあると思います。
そのとき例えば楽しい気分だったら楽しく堂々とパフォーマンスされると思いますが、では「楽しさ」と「うれしさ」の違いってなんだかわかりますか?
似てるけどちょっとちがうよ。
たとえば、素敵な絵を描いててたのしいな♪ お絵かきしてて楽しいな♪ みんなと遊んでて楽しいな♪ というのと、こんな絵が描けててうれしいなあ、みんながこんなに集まってくれてうれしいなあ、というのは、ちがうでしょう?
なんかちがうのわかるでしょ?
何がちがうか、わかりますか?
じゃあ、ヒント。
うれしいと思うときには誰に対して思うんですか?

そうです、そうです。
うれしさと楽しさ、ベースはどちらもわくわくしてるんです。
いい気持ちなんです。
でも「うれしさ」というのは「感謝」なんです。
感謝がないとうれしくならないんです、。
つまり、「うれしさ」というのは「ありがとう」なんです。
ありがとうという感謝の気持ちが入ってはじめてうれしいって声が、言葉が出ます。
で、楽しい、っていうのは自分ひとりでも楽しいことやってたらでてきます。自分ひとりで成り立ってる楽しさ、自分に意識が集中しているときには感謝ってほとんど出てきません。
声って、そこらへんの感情が如実に乗っかってきます。

怒り、楽しさ、悲しさ、怖さ、というような感情は、外から何か刺激、影響を受けたとき、その反射としての感情であることが多いです。何か外でひとつのことが起きたから、そこでわっと反射で出てくる身体の動きや表情や声です。
ところがその後、内面的にじわーっと「ありがたいなあ~」という気持ちが湧いたとしたら、それが「感謝」です。
ですから、そのふたつの感じ方っていうのはちがうんですよ。
もっというと感じることだけじゃない、プラスアルファのものが、感謝ってものの中に入ってきます。
だから、自己中心的な楽しさの中にいるか、他者への感謝の気持ちの中にいるか、というだけで声というのはまったく全然ちがうものになってしまいます。

ある意味「感謝の声」というのは、まったく感情の入っていないニュートラルな声、ではないんですけれども、でも実はそれに1番近しいものでもあるんです。
それは、「感謝する」というのは全て受けいれる状態なので、すべて受け入れるということは、良いことも悪いこともひっくるめて受けいれて「ありがとう」だからです。
そういう気持ちのときには声は素直に出てきます。
「ありがとう」って。
すごく素直に自然に楽に出てきます。
それが感謝のときの声なんですね。
ですから、この「感謝」というのだけは他のいろいろな感情とはまた別のものなんです。

でもまあ、いまお伝えしたいのは、こんなふうにいろいろな感情によって、それぞれ別々の声が出てくるよ、ってことです。
人が人と接するとき、そこにはっきりとある種の感情が出ているよりは、できるだけニュートラルで冷静な声のほうがやっぱり人は入っていきやすいんです。
それで、そういうニュートラルな声をつくるには、自分の声を知っておくことがすごく必要になります。
で、その声を知っておくときに、「あー」と声をだして、慣れてくるとできるようになります。自分で自分の声がいまどんな感じでみなさんに広がっているか、「あー」って言ったとき、その「あー」という声をできるだけ自分で聴くような訓練をするんです。

「おはようございます」といったときに「おーはーよー・・・」

いま自分はこんな感じで声出してみんなにおはようって言ってるな、みたいな感じで。
そのとき、自分が楽で気持ちよかったら自然と楽で気持ちのよい「おはようございます」になってます。
例えばある日、トラブルがあって自分があまり元気じゃない声で「おはようございます」を言ってたとしたら、それを自分にフィードバックしてみるんです。それで、いつもの自分の「おはようございます」とは違うってことに気づいたらどうしたらいいか。
よく人は鏡を見ます。でもいくら鏡を見たところで、今日のこころの状態は鏡を見ただけじゃわからない。ところが自分の声を聴いてみて、明るくはっきり「おはようございます!」といえてるときと、ボソボソ小さい声で言っているときと、横柄にぞんざいな感じで言っているときとで、「なんか自分の今日のこころの状態がいつもと違うな」ってことをわかるようにしておくと、すごく生きやすくなってくるんです。

で、そうやって生きやすくするために、このゼロの声。感情を表に出さずにいっぺん声を出してみて、それを覚えておきましょう、ってことですね。