「感動を伝える歌い方」5.人間の生理に合ったリズムやテンポは伝わりやすい

流行る音楽、ヒットするダンス音楽というのは人間の鼓動、ハートビートに添う、あるいはその倍くらいのスピードだったりする関係が多かったりします。
人の鼓動が1分間で何度くらいかというと、だいたい1秒間に1回くらいというのがいい感じです。1分、60秒ですから、60回くらいだったらまあまあいいかな、というところ。
ドックン、ドックン、ドックン・・・と、こんな感じですね。
それが80回くらいになると、ちょっと早いんですね。
100回なんかだと頻脈だ、ということになります。
こんどはまた面白いんだけど、120になると、トックントックントックン・・・と、こんな感じで、120エライ早いなと思うんだけど実はこれは1分に1回のトーン・トーン・トーンという、ふつうの規則正しい鼓動のちょうど倍だなってことがわかります。
っていうふうに、人の心臓のリズムというものに添う、っていうのも実は生理的に感動をわかりやすく感じやすくさせるテクニックのひとつです。
ゆったりしたMoon Riverの音楽であっても変に長すぎたらちょっとしんどいでしょ。
いくらゆったりといってもあんまり長すぎたらこれまたずっこけます。
ですから人間が生理的にここちよく感じるリズム、そういうのも上手に入れていくと、これまた伝わりやすくなります。

(自分がこれからやろうと思う)音楽をまず自分の中に落とし込んで、それをしっかり咀嚼して、それを(聴いている相手に)伝える、というのが基本ではあるんですけど、テクニック的なことでいうとそのような人間の生理的リズムに合ったリズムやテンポを感じてお伝えするとか、物をポーンと投げたときに、放たれた物はどういう放物線を描いて落ちてくるのかとか、人間の声も音の波ですから、音の波っていうものを扱う歌手の人にとって大切なのは、やっぱりどこからはじまって、どこで終わるか。(歌に)どういうコントラストをつけるか、そういうことをぜんぶ知っておく。
そのなかで、自分の咀嚼したものを物理的な、もしくは医学的な(人の生理にかなった)規則にのせていくと大体うまくいく、という、そんな話です。

ですからたとえばMoon Riverを3倍くらいの速めのスピードでやっても全然オーケーなんです。
逆に『雨に濡れても』を詩吟のごとく歌っても、それはそれでここちよく沁みこんできたらそれでいい。
でも、そのやり方があまりにも変にはずれていたり、規則・不規則をはずれて無規則になってしまったり、フリージャズなんかではそういうのもあるんですけど、でもあまりにもはずれたおかしな音をずーっと聞かされてると人間、飽きてくるし、しんどいです。
やっぱりどこかで規則的なところに頼るし、そういうのがここちよいと感じるところがわたしたちの中にはあるんですね。

さっき碁盤の目があって理路整然としたようなのがあって、でもそれだけじゃ面白くない、多少不規則なところがあったり、何かそこにコントラストがついてきたほうが面白い。
その面白さの中に『感動』っていうものがかならず宿る、ということです。
だからまず規則というのはちゃんと知っておかなきゃならない、ということです。

あまり極端な話をするのもなんですが、音楽、それも芸術のひとつですけど、なんでもありです!
なんでもありが楽しいです。
とうぜんバッハの時代、モーツアルトの時代、彼らがしっかり譜面書いてちゃんとやった、といってもその当時の彼らはけっこういいかげんですよ。音楽家ですから。
音楽家ってそんなにきっちりしません。
多少ズレたり、そのときの即興だったりアドリブだったり、ぜんぶありで楽しんで、そのなかで自分のできる範囲でいちばんいいと思える音、いちばん感動できる音を譜面におこして後世に遺しただけです。
もちろん、まず譜面にできるだけ忠実にやってみるというのは基本形です。これぜったい間違いじゃない。
でも、それやって「ああ!そうか。だからこうやねん。この人こう感じてたから、ここちょっとひねってみよう、ちょっとぼくのアレンジを入れてみよう」というのはありです。
(基本形なしに)最初から『ぼくのアレンジ』だけやるとロクなことになりません。

とくに最近、スマホとかMP3など、いろんな音楽を簡単に手に入れて聴けるものって世の中にいっぱいあると思いますが、それをどんどん聴く、そして耳から聴いたものを頭に入れてすぐ歌っちゃう、という、そういう練習の仕方をしている人は非常に多いです。
でも、それはほんとにすごく危険なんです。
やっぱりそんな耳から入る音だけで全てを理解するのはすごく難しいんです。
なんのために譜面があるのか? っていうと、さっきもいいました。
せっかく音をとらまえるときに、こういう書いたものもあるんだったら、視覚的な刺激、目から入る情報も使ってやって(譜面と)一緒に覚える、奏でる、というふうにやったほうがぜったい間違いが減ります。リズムも正確になる、メロディー、ピッチも正確になる。
それで他の人の声や歌い方にぶらされずにちゃんと自分独自の歌い方で、オリジナルのやりかたで歌える。
それが何か、彩香がこう歌ってた、エグザイルがこう歌ってた、って、それ聴きながら歌っちゃうと、妙な節回しや歌い方の癖まで真似してしまっておかしなことになってきますし、レコードというのは商品として作られた音でエフェクターがガンガン入ってます。そしたらふつう、人の声にはない声、すごーいリバーブがかかっているとか、エコーがかかっているとか、そんなものとっても真似して歌えません。
そういうエフェクターのたっぷりかかった作られた(人工的な)音をイヤホン通して聴いて歌おうとするから声帯を悪くする人が出てくるんです。
ですから耳から聴いただけの音で音楽を勉強しようとすると必ず喉を悪くします。
だから基本はやっぱり譜面を手に入れて譜面をちゃんと歌う、自分で音楽を作る人は譜面をちゃんと書く。
「いや、ぼく、譜面は書けないから」というひとがいますが、でもほんとにプロできっちりしたいい音を人に伝えようっていうんだったらそれくらい努力しましょうよ、って感じにわたしは思います。
だって、そのほうが自分だって能率よく音をつくれてやっていけますから。
どうしても自分で書けなかったら、ちゃんと書ける人に頼んで忠実な譜面を書いてもらえたら、ちゃんとそれを読めるだけの努力はしようというようなことですね。

そんなふうにしていって初めて自分の中でしっかりした音楽ができます。感動できる音楽ができます。これいったん持ったら強いです。
あとはそれをどう見せるかだけです。